一葉式いけ花のあゆみ
昭和12年3月に初代家元粕谷一葉が主宰する「紅遊会」と舞台挿花を確立した粕谷明光の主宰する「東花会」とが合体し、規格化した教科書とカリキュラムを使用した新しい教授法を旗印に、「一葉式花道」を創流。市ヶ谷田町にいけ花道場「一葉女塾」が創設されました。 第二次世界大戦中、閉校を余儀無くされましたが、戦後昭和21年に明光が復員、翌22年に家元を継承し、「一葉式いけ花」と改名いたしました。それぞれの個性と感性を大切にし、流派という‐流れ‐にとらわれることなく、一葉式の花を学び、個性を生かし、いつか自分“式”の花を生けられるように、という考えの下、流派名を“一葉流”ではなく、“一葉式”としました。 昭和23年に本部を中野に移し、第二代家元明光と夫人粕谷房子の二人三脚でさらに発展いたしました。昭和58年に一葉式いけ花第三代家元を継承した粕谷明弘(現家元)は、クリエイティブな竹の魅力を引き出した作品を創出し、昭和52年には、花材同士を花留めにした水盤での投げ入れ手法(剣山等の留め道具なしでの盛花)を先駆けて行うなど、斬新でユニークなアイデアを発信し続けています。二代目明光の確立した舞台挿花のデモンストレーションを進化させ、いつもその瞬間にしか生まれない「植・間」(はなはざま)を大事にし、いけ手と観客とが一緒になって一から花が生けられていく過程を共有する、プロセスを重視したダイナミックないけばなデモンストレーション(いけばなライブ)を30年以上前から継続して行っています。
一葉式いけ花は、海外へのいけばなの紹介、普及に力を入れています。戦後二代目明光はじめ多くの一葉式の教授者は、国内外で誇りを持って精力的に海外の人々にいけばなを指導しました。その指導を受けた人々が世界各地で活躍し、弟子、孫弟子へといけばなに対する熱心な取り組みが受け継がれています。
現家元粕谷明弘は、海外からの評価も高く、世界38ヶ国、86都市を訪問し、延べ180回以上の海外公演を行っております。75周年の節目を迎え、現家元、次期家元 粕谷尚弘をはじめとする一葉式いけ花のメンバーは、日本のみならず世界各国の多くの人々の応援を受けながら益々いけばなによる国際交流の輪を広げています。
駐) 記録は、本部中心のもので、掲載以外にも国内外における支部などで花展、デモンストレーション、ワークショップ、記念行事などが行われてます。また、日本いけばな芸術協会展、いけばな協会展、帝国華道院展をはじめ、各地の花展でも積極的な活動を行っております。
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