一葉式いけ花二代家元、粕谷明光氏の三男として東京に生まれる。幼少の頃より花を学び、 17歳より流派内外の花展などに作品の発表を始める。1967年渡米。 ニューヨークでインテリアデザインを学ぶ。1972年、副家元、1983年 一葉式いけ花三代家元に就任する。 1980年頃に水盤に投げ入れ手法(剣山なしでの盛花)を持ち込んだり、大規模の花を海外で生ける際に持ち運びやすい木で組む花器を考案したり、常に斬新でユニークなアイデアを生け花界にもたらしている。
家元(明弘)は生け花界で、とても優れたデモンストレーターとして大変評価されている。デモンストレーションとはいえ、通常はリハーサルを前もって行うものであるが、家元(明弘)の場合、即興でパフォーマンスを行う場合がほとんど。失敗するリスクよりも、その瞬間にしか生まれない「植・間」(はなはざま)を大事にしているからである。 現在のスタイルを確立したのは、若い頃のアメリカでの45日間に渡る公演旅行(13都市、11回デモ、18回ワークショップ)の際、準備する間もなく予定が入った為、花は現地で調達、公演はその場で考えて即興で行わざるをえなかったのがきっかけ。それまでに無い手応えを感じた家元(明弘)は以来、即興でのデモンストレーションを積極的に行っている。 生け花界での立場
常陸宮華子妃殿下を名誉総裁とする日本いけばな芸術協会の常任理事として「いけばな褒賞杯」に毎年立ち会ったり、各団体のイベントに積極的に参加するなど一葉式いけ花だけでなくいけばな界全体に対しても貢献している。
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